みんなの癒しになる、
銭湯を作ると決めた。
始まりは昭和十八年。
世は太平洋戦争真っ只中。
杉並区高円寺の商店街、街から笑顔が消えていた。
初代、勘太郎はみんなの心を癒すため銭湯を作ることを決める。
勘太郎は八王子の月の湯で修行した後、大好きな場所、高円寺で開業した。
勘太郎の人柄もあり、みんなが集まる憩いの場となった。

焦ってもしょうがない、
牛乳でまぁ、一杯やろうぜ。
宵湯が軌道に乗って来た頃、試練が訪れた。
三軒先に新しい銭湯ができた。入浴料がかなり安いらしい。
それから宵湯には、毎日閑古鳥が鳴いた。
奥さんは、不安で毎日泣いていた。
一方勘太郎は、商品の牛乳を飲みながら呑気に
杉並区中に響き渡るくらいの大きな声で歌っていた。
奥さんが夕飯の支度を終え、宵湯にやってきた。
勘太郎は飲み干した牛乳の瓶をこっそり回収箱に入れた。

レコードが流れるように、
優しい時間が流れる場所に。
ある日、常連の金田一さんが、「わしのレコードを流してくれ。」
入浴券とともにレコードを渡してきた。
そこから宵湯には銭湯セットとレコードを一緒に持ってくる人が増えた。
以前のように自然と人が集まり、笑顔の集まる場所となった。
一年後、勘太郎は満足げに牛乳を飲みながら、
相変わらず商店街に響き渡るくらいの大きな声で歌っていた。
奥さんは、「音痴なのによく恥ずかしくないわね。」と嬉しそうに笑った。

そして、
宵湯の第二章がはじまる。
たくさんの方に支えられて、宵湯は創業82年となった。
商店街の活気も前に比べてなくなっている。
若い人に銭湯へ来てもらいたいと、そして商店街へも人が流れるようにと
お風呂の種類、温度、レコードで流す音楽、試行錯誤を繰り返した。
すこし、ほんのすこしずつ若い人が増えた。
心を癒すために始めた銭湯ということを念頭において、
これからも宵湯は進化を続けたいと思います。
今宵、あなたの心と体を、宵湯にあたためさせていただけませんか。
